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震災直後のまちのようす

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.2 .3 | 投稿日時 2011-9-1 10:55 | 最終変更
go  管理人   投稿数: 113 オンライン
地震が起こった時、理事長の今村は磯鶏の自宅(兼NPO事務所)にいた。
ただならぬ大きさの地震だったので、彼は何はともあれ犬だけを車に入れて、ひたすら逃げた。
途中、映像にある最も標高に低い市役所前を通って、高台の崎山に逃げた。
逃げ足が早かったので、津波の押し寄せる前に逃げてしまっていた、
自宅には、大切なものがたくさんあったハズだが、彼は犬だけを連れてひたすら逃げた。

いまでも言う、「犬のお陰で助かった」と。

彼はNPO仲間の経営する民宿「治郎兵衛家」に行った、女遊戸(オナツペ)も被災したが、
民宿は海岸よりもかなり奥にあったので、被災しなかった。
(彼は、その後1ヶ月間、そこで避難所生活している)

翌日、町をみに行こうとしたが、入れなかった。
その次の日3/14、国道遠くに車を停めて、歩いて回り、
たくさんの写真を撮ってあったので、その一部を紹介します。

なお、映像は「震災直後の映像」としてトップページ下段に載せています。

  
すでに道路からの瓦礫は脇に寄せられていた。、
  
鉄橋も流されており、船も繁華街にまで流されていた。
  
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011-9-1 11:28 | 最終変更
go  管理人   投稿数: 113 オンライン
事務所を見たら驚いた!
普通の津波の被害とは様相を一変していたのだ、
材木置場に置いていた丸太の流出で、その丸太が家屋を破壊していたのだ。

  
この丸太で被害が拡大したのは一目瞭然であった。
  
藤原埠頭の南端はベニヤ板の製造工場で、大量の丸太が積まれていたのだった。
  
            
津波の被害は天災であるから、しょうが無いと諦めれるが、
今村は、この丸太による家屋の損壊は、明らかに企業による二次災害である、と考えた。

詳しくはホクヨー丸太家屋損壊をご覧ください
投票数:1 平均点:10.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2011-9-1 17:01 | 最終変更
go  管理人   投稿数: 113 オンライン
私は、もっと早く仲間の居る宮古に行きたかった、
けど、北上山系を越える要所には交通規制の検問があるという、
私は渓流釣りをやってたので、裏道は幾らでも知っていたが、
土砂崩れで事故にあったらどうするんだ、との家族の反対もあって、行けなかった。
規制が解けたら、次はガソリンが入らないときた、行っても帰れない。

でも、やっと予備タンクを積んで、宮古に着いたのが3/27だった。

な・なんと、私には目を覆うばかりの光景だった・・・、むごい!!

宮古市役所付近はだいぶ片付いていたが、
  
少し先の鍬ヶ崎地区に行くと、ここ一帯は最も被害が大きかったところだが、
瓦礫撤去はまだだった。
  
市内南の磯鶏沖の堤防を歩いてみた
  
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011-9-2 15:04 | 最終変更
go  管理人   投稿数: 113 オンライン
引続き山田町に向かうが、途中の高浜地区も悲惨です、集落がまるごとなくなっている
  
山田町に入ったら、まだ瓦礫が山積みです、車はなんとか通れます
  
町が丸ごとなくなっています。
   
会員の上林さんご夫妻がいる避難所に行ったが・・・、
 
いました! よく助かってくれました、手を握り合いながら、ありがとう!ありがとう!
 
投票数:2 平均点:5.00

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